知心流松平家 14代宗家
松平 壽正(まつだいら としまさ)

 本名、明石久雄(あかし ひさお)。 昭和48年(1973年)、知心流松平家13代宗家 松平正親 先生に出会い知心流に入門。日本体育協会の稽古場(岸記念体育館)にて週2回、13代宗家による個人指導を受け、内弟子となる。

 昭和52年(1977年)、相伝家(※1)襲名により松平姓(襲名 松平壽正)と葵紋を賜り、宗家の一員となる。宗家ならびに相伝家道場として、光照寺(増上寺末寺)境内の建物に新たに稽古場(現在の調布柴崎道場)を開設した。相伝家襲名後も13 代宗家からの個人指導は続き、刀法、居合、小太刀、骨法の奥位を授けられる。

この頃から知心流松平家の名代として演武会などに参加。また右筆として免状作成や門下生台帳記帳など、側近としての役目も務め、知心流白河合宿所の建設にも貢献した。平成2年(1990年)には知心不動派刀流(※2)を継承。

(写真は13代宗家 松平正親 先生(写真左)より相伝家の戦陣旗に旗印「一刀入魂無他念」の墨筆を賜る14代宗家)

 調布柴崎道場は多くの門下生が入門し、入門30年を超える門弟が何人も育ち、知心流の東京での基盤が作られた。設立40周年記念の一環として、当該道場の傍(光照寺境内)に知心流中興之石碑と先祖の鎮魂碑を建立した。

 平成24年(2012年)に13代宗家が亡くなられ、逝去直前の遺言により知心流松平家の後継に指名される。継承のため、知心流および松平家の古文書、武具、嫡流旗、門人帳忘備禄など各台帳と共に代々の法印を宗家一族から預かり、正式に14代宗家となる。

知心流松平家  後代代宗家
松平 守正(まつだいら もりまさ)

 知心流松平家14代宗家の長男 明石守正 氏は13代宗家が名付け親であり、後代宗家(襲名 松平守正)として世田谷成城道場を開設している。

 令和元年(2019年)に世田谷成城道場は設立から7周年を迎えており、黒帶之位の直門も複数名輩出している。

(写真は知心流中興之石碑建立除幕式にて奉納演武をする知心流後代宗家 松平守正)

※1
松平を武門襲名し宗家の一員として、知心流松平家の継承に貢献する家柄。13代宗家の相伝家は数家あったが、13代宗家自ら現14代宗家を残し淘汰をされた。

※2
相伝流派の一つであり、相伝流派とは松平を名乗り葵紋の旗下で、知心流の一門流派として宗家に貢献する家柄。相伝流派としては、知心不動派刀流と、知心残心派刀流、知心流居合、知心流骨法が現存する。知心残心派刀流は当主逝去後、遺族より14 代宗家に葵紋の戦陣旗と松平姓が返納された。相伝家、相伝流派、いずれも松平家の一員であり、系統を順守するため一代限りと定められている。